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創業100周年を迎え、次の100年に向けた企業コンセプトとして『小粒でもキラリと光る技術商社』を掲げております。これは、ことわざの「山椒は小粒でもぴりりと辛い」をもじったもので、「山椒の実は小さいが非常に辛いところから、企業体は小さくても、非常に鋭く優れた、存在感のある技術商社にしたい」という思いを込めました。またこの「小粒」というのはマルエム商会のことだけではなく、世界にはまだまだ企業規模は小粒だが、キラリと光る技術を持つベンチャー企業や中堅・中小企業が数多くあり、そうした技術を広く集約して、大きな技術に化学反応させていく、そのお手伝いをマルエム商会が担おうとの思いもこめております。
代表取締役社長
西岡 隆夫
MESSAGE
写真でみる100年のあゆみ
100 years of history in photos
創業60周年記念式典
1983年10月1日、創業60周年を迎え、はじめて開催した創業記念式典にて秋男は次のように述べた。 「一宮市四ッ谷町に開業致しましたのが、私が二十才の時、それから六十年間を振り返れば本当に永く苦しい年月でもあり、又ほんの昨日の様な事とも感じられます。併し此の間の紆余曲折の思い出も全て、今日、此の会場に出席して、全社員皆様の元気で明るく覇気に満ちた姿に接し、全部霧と消え、マルエム商会の希望ある明日を感じました。マルエム商会の今日があるのは、数千軒を数えるお得意様と五十有余のメーカー様、そしてその他業者の方々のご援助、ご鞭撻のお蔭であり、一番に代々優秀な従業員に恵まれた事であると信じて居ります。企業は永遠であり寿命がありません。 六十才では未だ未だ赤ん坊かも知れません。 今日此の会場に居られる社員の皆様が七十周年、八十周年記念には、此の数が倍にも三倍にもなって居る様、無限の前途に希望と努力、情熱をもってマルエム商会の、否、従業員一同とご家族の幸せの為に一致協力して頑張って行きましょう。』
受け継がれる「五訓」の精神
-誠実努力- 自分の務めをよく理解して、誠実真剣に仕事に励みましょう
-積極創意- 常に進取事に当り創意工夫して而も迅速確実に之を処理しましょう
-融和一致- 礼儀を正しく言動を慎み、明るく朗らかにして皆で手をつなぎ合いましょう
-信用高揚- 客先やメーカー側に満足していただける様に骨を折り自分も楽しい商売をしましょう
-愛社感謝- 毎日健康で働けることを喜びとしマルエムと共に生きて幸せを築きあげましょう
日本一の個人商店
1930年に安川電機製作所の代理店となり、戦前・戦後は繊維産業向けのモータ販売、産業用ロボットの普及元年と呼ばれる1980年からはロボットによる製造業の省力化・省人化を図っていた。順調にあゆみを進め、2000年を迎える頃には年商100億円を超え、「日本一の個人商店」と言われるようになっていた。2003年4月1日、二代目 森田力が法人化し、80年間もの長い間、個人商店であった「マルエム商会」は「株式会社マルエム商会」となったのであった。
勳三等瑞宝章受章
20歳でマルエム商会を創業以来、44歳で東海倉庫株式会社を設立、また戦後の激動の時代に、安川電機製作所の取締役をはじめとする十余の会社経営に参画し、四十余りの公職団体関係の役員を歴任するなど、経済の発展と社会貢献に努めた。これらの功績により、1975年、秋男は勳三等瑞宝章を受章する。1984年1月3日、80歳で人生の幕を閉じることとなったが、葬儀では生前の功績が称えられ、正五位の位記が伝達された。
創業者 森田秋男の生い立ち
秋男は、1918年に席田尋常高等小学校卒業後、大阪へ拠点を移し、総合商社「鈴木商店」に就職する。日本は、第一次世界大戦による大戦景気に沸いており、「鈴木商店」も大いに賑わいを見せていた。終戦後も暫くは好景気が続いていたが、急激なインフレによる反動で戦後恐慌に突入。大戦景気に乗じて、異例のスピードで事業拡大を遂げた「鈴木商店」は戦後恐慌への対応が難しく、業績が大きく落ち込んだ。1922年、追い打ちをかけるようにワシントン海軍軍縮条約が締結され、経営が傾き、秋男は志半ばで「鈴木商店」を退職し、帰郷する。職を失い、これから何をして生きていこうかと考えていた時に、電気主任技術者として働いていた、兄・一男のことを思い出す。一男の仕事の話から「これからは電気の時代が来る」と考えた秋男は、実家を離れ、名古屋市に家を借り、タングステン電球「マツダランプ」をリヤカーに積み、訪問販売をはじめる。この時、秋男は「マルエム商会」誕生へ向け、一歩を踏み出したのであった。
鷹岡商店との出会い
兵庫県武庫郡大庄村に、毛織物の仕上げ加工について日本で最高峰と謳われる鷹岡商店の関西整絨所があった。順風満帆に商売をしていた鷹岡商店であったが「毛織物の生産は今後、尾州に集中するであろう。このような不便な場所に工場があっては近い将来、商売がだめになる。」と考え、愛知県へ工場移転を決める。工場移転の話を聞いた秋男は神戸のホテルに泊まりながら営業を行い、移転先の工場で使用するモーター、電気工事、管工事の注文をいただく。これが鷹岡商店との出会いであった。工場移転から暫く経った頃、関西整絨所を栗原毛織へ売却したいと秋男に相談に来られる。栗原勝一氏と交流が深かった秋男は自分が先頭に立ち、栗原毛織への売却の話をまとめた。全ての手続きが終わった際に「森田さんには長年お世話になった。マルエム商会も近いうちに東京営業所を作られるであろう?金銭でお礼するのは受け取って貰えないだろうから、その時には私共のビルの一画を提供します。」とお話をいただき、東京支店のビルの一画に、記念すべき東京営業所を開設させていただくことになったのであった。
一宮本店社屋竣工
1945年 7月、太平洋戦争の末期、一宮空襲により一宮営業所が焼失する。変わり果てた一宮営業所を前にして立ち尽くす秋男であったが、「日本の復興の力になりたい」と戦後すぐに10坪あまりのバラックを建て、営業を再開する。戦後の一宮市は日本有数の繊維産地として隆盛を極め、マルエム商会も繊維産業向けの機械販売と電気工事業で着実に事業を拡大していった。事業がようやく軌道に乗った頃、秋男は社運を賭け、大卒初任給が約1万5000円の時代において、500万円の巨額な借入を行い、設計は日建設計、建築は清水建設と超一流の社屋再建を目指した。
営業所移転に込められた思い
東京営業所開設から5年を迎えた1953年、東京駅から程近い東京都中央区日本橋呉服橋に営業所を移転した。 東京の一等地に営業所を構えるのは創業者の悲願であり、「東京の一等地に営業所を構え、それに見合った商売をしたい」という思いが込められていた。
社名の由来
創業以来、100年の長い歴史の中で社名変更を行ったことは一度もない。創業した当初は大正時代であり、その頃は、創業者の名字をそのまま会社名の一部として使用することが多く、カタカナの会社名は珍しかった。創業者の名字「森田」をローマ字で書くと「Morita」、カンパニーロゴは「Morita」の頭文字「M」を◯で囲んだ「Ⓜ」であり、創業者を中心として、社員皆円満で、和を以て尊しとなすの精神で会社を大きくしていきたいという思いが込められている。会社名はカンパニーロゴをもとに「◯=マル」「M=エム」と名付けられた。
マルエム商会は、創業100周年を迎えました。
次の100年に向けて『小粒でもキラリと光る技術商社』へ
マルエム商会は、
創業100周年を迎えました。
次の100年に向けて『小粒でもキラリと光る技術商社』へ
創立100周年を記念した動画をご紹介します
100th anniversary video
100周年記念ロゴマーク
100th anniversary logo mark
"小粒でもキラリと光る技術商社"を目指して
創業100周年に向けて、社業の成長と発展を祈念し、創業100周年記念ロゴマークを制作いたしました。
従来のロゴマークに『Vision』と『100周年から更に無限(∞)に永続する未来』という意味を込めました。
創業100周年を迎え、更にその先の100年迎えられるように全社一丸となって努めてまいります。
テキストテキスト
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おかげさまで
森田秋男(創業者)が、京都の妙心寺を訪れた際、管主からこの言葉が書かれた色紙頂きました。以来、この言葉は森田家の家訓として今も生きており、名古屋支店(本社)の応接間に飾られ、社員を見守っております。
「この世は自分一人で生きているのではない。両親や先祖があってこその自分。会社では、お客様や仕入れ先、社員があってこそと感謝すること。」
創業者である森田秋男の強い信念は、現代の私たちへ今でも受け継がれています。
経営理念 "五訓"
-誠実努力- 自分の務めをよく理解して誠実真剣に仕事に励みましょう
-積極創意- 常に進取事に当り創意工夫して而も迅速確実に之を処理しましょう
-融和一致- 礼儀を正しく言動を慎み明るく朗らかにして皆で手をつなぎあいましょう
-信用高揚- 客先やメーカー側に満足して頂ける様に骨を折り自分も楽しい商売をしましょう
-愛社感謝- 毎日健康で働けることを喜びとしマルエムと共に生きて幸せを築きあげましょう
一宮本店 建設
1923年10月愛知県一宮市四ツ谷町18番地にマルエム商会を設立しました。現在は1階にIRSB(一宮ロボットソリューションベース)が設立され、技術商社であるマルエム商会ならではのビジネス「産業用ロボット安全教育」、「ロボット実証実験」をおこなっています。
創業者 森田秋男
1903年9月30日岐阜県本巣郡糸貫町に誕生。1923年10月マルエム商会を創設。
創業者 森田の頭文字「M」を社員が円満に囲むという由来からマルエム商会が誕生しました。創業1ヵ月前に関東大震災が発生し、世間が混乱する中、森田秋男は復興の灯りをともす志と共に、「電気の時代」が来ると予測しました。自社ブランドの電球をリヤカーに積んでお客様のもとへ販売する、こうしてマルエム商会の歴史は始まったのです。
東京支店 設立
1948年10月 東京営業所が設立されました。東京駅前に事務所を設けることは、創業者(森田秋男社長)の強いこだわりで東京一等地に事務所を設け、その立地に見合う業績をあげるという強い思いがありました。